田原祭は,江戸中期までは熊野神社の祭礼でしたが,1753年より熊野神社,神明社,八幡社の三社祭といわれるようになったようです。江戸期は,傘の上に鉾を立てた傘鉾が祭礼で使われていたようです。田原祭の現在の形は明治時代に確立されました。明治時代になると,傘鉾に代わり,名古屋型の昼山車が祭の主役になりました。萱町の総代車が明治13年に,本町の神功皇后車が明治29年に新調され,新町の応神天皇車が昭和3年に購入されました。また,明治28年頃にはもう一つの祭の主役である手筒煙火が,田原で行われるようになりました。熊野神社は巴江神社に合祀され,昭和34年頃からは神明社,八幡社の祭礼と合わせ,9月に行われるようになりました。初日は昼山車を中心に,御輿,夜山車など行われ,最終日は昼山車が済むと手筒花火,大筒花火及び打ち上げ花火が行われる祭となりました。 昭和63年には3台の山車が田原町の有形民俗文化財として指定されています。